戦中、戦後の厳しい食糧事情や、消滅の危機を乗り越えた、「江戸前寿司」

江戸前寿司
800年代初頭の頃「江戸前寿司」は、寿司職人の華屋與兵衛(はなやよへい)によって誕生し、寿司発祥の地として東京都墨田区の領国に記念碑が建てられています。

生の魚介類を乗せた寿司に改良を加え、煮たり、締めたりした寿司ネタを、酢飯と一緒に握った「江戸前寿司」が誕生しました。

「江戸前寿司」の「江戸前」には、現在の「東京湾」と、「仕事」の2つの意味があります。

現在より魚の種類が豊富だった東京湾で獲れた車海老や穴子、たこ、蛤、赤貝などの新鮮な魚介類を、当時江戸の人々は「江戸前」と呼び自慢しました。

交通手段が確立されておらず、冷蔵庫や冷凍庫もなかった当時、新鮮な魚介類は時間が経過すると、鮮度が落ち品質が悪くなってしまいました。 そこで、旨みを凝縮させ、保存に適した状態に仕上げる工夫が開発されました。

新鮮な魚介類を「塩や酢で締める、蒸す、煮る、タレに漬け込む」という「仕事」が施され、素材の旨みを最大限に引き出す世界に誇る「江戸前寿司」が誕生しました。

知恵と工夫の結果誕生した「江戸前寿司」は、第二次世界大戦中や戦後、大変な食糧不足だった日本は、米などが配給制になっていました。1947年GHQの指示を受け、営業停止となった寿司屋が、日本中から消滅しました。

そんな中、寿司を提供しているわけではなく、持って来てもらった米を加工する“委託加工”の形で寿司屋の営業を続けていました。

当時、持って行った1合の米は寿司屋が預かり、事前に炊いてあった米で握りや巻物などの寿司を握ってもらいました。

しかし、マグロやヒラメなどが手に入らず、川魚のマスやフナのほか、かまぼこなども握られ、工夫を凝らしながら寿司が出されていました。

また、現在ではお寿司の定番となっている「かっぱ巻き」は、マグロやかんぴょうの代わりに、海苔との相性がよいきゅうりを巻き、厳しい食糧事情の中、誕生しました。

このように、お寿司は厳しい食糧事情や消滅の危機を乗り越えました。そのおかげで、現在では当たり前のように食べられるお寿司に感謝しながら、美味しさを思う存分味わいたいです。